3章.2


 自分の気配はこの教室の、シャルルとさゆり以外にはわからないようにしてある。何の道具も動作も必要とせずに他人を思うがままに出来るのは、我ながら便利すぎる能力だと思う。どうやってるのか、なんて、訊ねられても答えようがない。自分でもわからないのだから。
「シャルルはこの席でいつもぼーっとしてるの?」
 机の後方に余っていたイスを運んで来て、シャルルの机のそばに置く。シャルルは自分の席に座って、ずっと頬杖をついてふくれっ面をしている。
「お前に会ったらどうやってズタズタにしてやるか考えてた」
「オレのこと考えてたんだ! やだもーシャルルくんってばかわいー」
 ふざけたら教科書らしき冊子を顔面目がけて投げられた。黙っているよりはそのほうが、シャルルにとってはストレス発散になっていると思う、けど。
 ふざけている場合ではない。
「ちょっと真面目な話をしに来たんだ。さゆりちゃんにご挨拶っていうのはついで」
 オレは運んできたイスに腰掛けてシャルルのほうへ向き直る。シャルルはオレを横目でちらっと見て、顔をしかめた。可愛い顔が台無しだな、と思う。
「…………。お前が言うか」
「オレはシャルルくんが思ってるより真面目です」
 シャルルはやや顔を背けたまま黙っている。聞く意思はあるようだから、オレは一旦肺の中の息を吐き出してから、切り出した。
「お前は本当にあの人のこと殺してしまいたいとまで思ってる?」
 シャルルはすぐには反応しなかった。少し経ってから、だるそうにこちらを向きオレを睨みつける。オレは真顔で、シャルルから視線を逸らさない。
「どういう意味だよ」
「言葉通り」
「…………殺すよ。殺したくて殺したくて仕方ないんだよ。あの人を殺すために僕はここに来たんだ、でなきゃこんなところなんて来るもんか。お前なんか頼るか」
 シャルルは俯いて、吐き捨てるように言った。その金髪がきちんと櫛で梳かしてあることに気付いて、安心した自分に呆れる。見た目に気を遣う余裕があるうちは、大丈夫だろう――。
「オレのこと頼りにしてたの?」
 オレはわざと冷めた声で、けれど微笑んでシャルルに問いかける。
「してくれてるなら申し訳ないけど、これ以上お前には協力できないみたいだ」
 シャルルは薄い困惑を浮かべた表情でオレを見る。今更何を、とでも言いたげに。
「殺人は何の解決にもならないよ。お前が辛いだけだ。仇討ちたい気持ちはわかるけど――」
「お前に僕の何がわかるって?」
 オレは微笑を崩さなかった。それがシャルルの癪に障ったらしく、ますます不機嫌になる。
「ごめん、オレにはわからない、ね。どうして殺す、なんて発想に至るかわからない」
 シャルルはオレと話しても無駄だと思ったのだろうか、大きく息を吐いてそっぽを向いた。
「なあ、ほんとに、殺人なんて考えるなって。背負うもの増やすだけだろ」
 沈黙。しばらくして、向こうを向いたままシャルルは言う。
「じゃあどうしてお前は僕をここに連れてきたの。協力する気がないなら初めからそう言え」
「こっちに来てみたら気が変わるかと思った。それに向こうでは安心して暮らせそうになかった。そうだろ? 例の事件のことをいつまでも言われるのは嫌だろ?」
 答えてくれない。続ける。
「シャルル、こっちの世界でもオレたちは十分暮らしていけるんだよ。ここの人間、笑っちゃうくらい術にかかりやすいんだ。嘘を重ねながらになるだろうけど、向こうよりはきっと生きていきやすい。誰とも関わりたくないならそれでもいいよ、オレが食べ物も服も居場所も全部用意してやるから。人殺すなんて、それだけは駄目だ。それ以外の我が儘はオレが聞くから」
「……黙れ、うるさい」
「うるさいじゃない。お前のためを思って言ってるんだって。彼女を殺す必要なんかないんだ。よりによって、お前が一番――」
「黙れって言ってるだろ!」
 シャルルは勢いよく立ち上がって叫んだ。同時にイスが倒れて大きな音を立て、その拍子に催眠が解けてしまったのだろう、教室にいる全員の注意がこちらへ向いた。
「僕に逆らうならお前だって殺してやる!」
 オレはざわめく生徒たちに術をかけ直しながら立ち上がり、殺意剥き出しのシャルルに肩をすくめる。
「殺せるものならぜひどうぞ。喜んで死んで差し上げますけど?」
 シャルルに言い返せるはずもなく、教室を出ようとするので肩を掴んで引き留めた。
「オレが出るからお前はここにいろ。しばらく座って頭冷やせよ」
 振り返らずに、教室を出た。
 考え直して、くれるだろうか。

     ◇

 ――――オレがシャルルに出会ったのは二年ほど前の春のことだった。昨日のことのようにはっきり、憶えている。あの日シャルルに会っていなかったら、オレが今よりずっとろくでなしみたいな人生を送っていたであろうことは、想像するに容易いから。
 オレは放浪生活にも慣れきって、今度はどこに居候しようかと彷徨っているところだった。当てもなく歩いて来て辿り着いたこの辺りは、中心市街地からやや外れた住宅地ながら観光地としても絶大な人気を誇っている。水平線が見えるほどに大きく澄んだ湖と、囲むように咲き乱れる色とりどりの花が若い女性の心をくすぐるらしい。憧れるよね、と女の子たちが話しているのをよく聞いたが、天国めいていてオレは嫌いだった。
 その日はくっきり晴れていた。
 人気とはいえただの住宅街であることに変わりはないから、家々の間は狭く入り組んでいる。ちょっと道を間違えると簡単に迷ってしまって、決して方向音痴ではないはずのオレでさえどこを歩いているのかわからなくなった。気がつくと湖の側に来ていた。
 歩き疲れたから休憩することにして、その場に腰を下ろす。春の日差しとふかふかの草花が昼寝にちょうどよさそうで、寝転がろうかと思った時、視界の隅に子供の姿が入った。
 肩まで伸びた金髪をそよ風になびかせて、湖の向こうを見つめている――のかな。顔はここからではよく見えなかったが、歳は恐らくオレの一つか二つ下くらい。純白のブラウスに同じく純白のロングスカートという、実に天使めいた服装で苦笑してしまった。なんとなく不愉快に思ったのだが、近寄って行ってみることにする。
 何か違和感のようなものを覚えたから。
 声をかけられる程度まで距離を縮めると、純白の天使はゆっくりと振り返ってオレを見た。怯えたような表情に、思わず目を細めてしまう。
 端整な顔立ちの――いや、そんな簡単な言葉で表せる程度の美貌ではない。蜂蜜色の髪と細い眉に、イブニングエメラルドの瞳、桜色の柔らかそうな唇、透き通った白い肌――そのどれを取ってもまるで芸術品、生きた人間とは思えないほどだった。本当に、天使のような。
 微笑んだらどんなに可愛らしいだろうかと思って、オレは笑顔で話しかける。
「ここには初めて来たんだけど、綺麗な街だね。君はこの辺りに住んでるの?」
 少女は緊張のためか、強張った表情で、小さく「ええ」と答えた。見知らぬ人と会話するのに慣れていないみたいだ。
 オレの頭の中で何かが引っかかっている。それが何なのか、わからなくてもどかしい。
「綺麗な街に住んでるからそんなに綺麗なのかな。名前聞いてもいい?」
 彼女は俯いて首を横に振ったが、ふと思いついたように「シャルロッタ」と呟いた。
 見るからに嘘だったものだから、にやりとしてしまってその瞬間にピンときた。
 ……あれ? こいつ女の子じゃない……?
「答えにくいなら嘘つかなくたっていいんだよ。でも今もう一つ質問思いついちゃったからこれには正直に答えてくれると嬉しいな」
 その子は黄緑の双眸をぱちくりさせる。
 どうか間違っていませんように。
「君って、男の子だよね?」

     ◇

 学校にナイジェルが来て以来、いつにも増してシャルルは機嫌がよくないようだった。恵吾くんとは仲良くなったようで、彼とはよく笑顔(とは言っても、どことなく無理している感じだった)で会話していたのに、ナイジェルに会ってからはつまらなそうに恵吾くんの話に頷くだけだった。それでも恵吾くんはシャルルに一生懸命話しかけていたので、シャルルもそのうち元気を出してくれるかなーと思っていた。
 機嫌の悪いシャルルを気にしていたのは未来もで、時々未来と恵吾くんはシャルルが教室にいない隙を見計らって何かこそこそ話していることがあった。どうしても気になって仕方がなかったので放課後、話に入れてもらおうとすると、未来にこんなことを言われた。
「さゆりさ、シャルルくんのことホームステイさせてあげてるよね」
 私は一瞬とぼけようかと思ったのだけれど、未来が根拠もなく、真顔でそんなことを言い出すはずがない。きっぱり諦めて、頷いた。
「本当だったんだ。今井やっぱ頭いいな」
 恵吾くんは自分の机に腰かけて笑う。
 私は、シャルルが自分の家で暮らしていることは事実だが、理由は教えられないこと、他の人には絶対教えないでほしいことを二人に話した。二人はあっさりと、しかし真剣な眼差しで頷いてくれる。
 気付いたのは未来だったらしい。根拠は、弁当の中身と、シャルルに対する私の態度。曰く、「転校してきたシャルルくんに一番興味なさそうだったのに、最近心配そうにちらちら見てるから、やっぱりそうかなあって」。
 心のどこかで未来に気付いてほしかったのかも知れないな、と思った。異世界から来たという男の子と暮らすなんて、日常生活にはまず有り得ない。ずっと隠し通せるはずがなかった。それに、親友にすら打ち明けられない秘密を抱えたまま生活できるほど、私は器用じゃない。
「……シャルルって、どうしたら笑ってくれるのかな」
 不意にそう呟いたのは恵吾くんだった。
「なんかさ、笑顔に見えても心から笑ってないじゃんあいつ。なんつーか、同情ってわけじゃないけど、かわいそうになってくるんだよなあ」
「恵吾って弱そうな子放っておけないタイプだよね。シャルルくんと言い彼女さんと言い」
 未来も恵吾くんの真似をして、行儀悪く近くの机に座った。私はイスを借りて座る。
「いいじゃん別に。弱い者いじめは弱い者のすることだぜ?」
 恵吾くんはそう言ってから、決まりが悪くなったようで咳払いした。
「なあ、安藤はどう思う? シャルルって何好きそう?」
 私はバイオリンを妹と、恥ずかしそうに呼んでいたシャルルを思い浮かべる。あの瞬間だけは、シャルルは何も隠していなかったような気がした。
「バイオリン、弾けるみたいだよ。音楽の話題だったら喋るかも知れない……」
「すげぇ。じゃあ今度そんな話してみよう。安藤から聞いたのはもちろん内緒で」
 にこにこしている恵吾くんに私は、心の中でこっそり、よろしくお願いしますと呟く。
「恵吾、あんまりシャルルにばっかり構ってると彼女にフラれるんじゃないの」
「それはマジで困る……いや、でも話せばわかってくれるから先にシャルル」
 シャルルはみんなに心配されてる。だからそんなに暗い顔をしないで、と言いたいけれど、シャルル本人に言うわけにはいかなかった。私はスパイみたいなことをしている。将来の職業にはとてもできそうになかった。私に隠し事は向いていない。
「安藤もあんまり心配しすぎるなよ。安藤まで元気なくなったら俺どうすればいいんだよ」
「そうだよ。あたしに何でも言うんだよ」
「うん……ありがとう」
「ところで今の恵吾の台詞彼女にチクっていい? 面白いことになりそう」
「やめろっつーの。俺は周りのみんなに笑っててほしいわけ。悪くないだろ?」
 それからは、かっこつける恵吾くんとそれを茶化す未来のやり取りを、時折ツッコミを入れながら眺めていた。
 シャルルのことはきっともう大丈夫だと思った。未来や恵吾くんも、シャルルを気遣ってくれていると知ったから、安心してしまっていたのだ。
 しかし大丈夫などころか、シャルルの心はとっくに限界を超えていたことを知るのはその数日後のことだ。私たちが心配したところで、シャルルに周りのことは何も見えていなかった。

 その日の夜、シャルルは私がお風呂から上がっても二階の部屋から下りて来なかった。
 呼びに行って、そこで初めて私は携帯で男の子に電話をかけることになる。