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3章.1 「あの、シャルルとその人ってどういう関係なの、かな」 階段を降りながら恵吾が訊ねてくる。ナイジェルを友達と呼ぶのはちょっと嫌だった僕は、ちょうどよさそうな言葉を探したけれど見つからなかった。「説明難しい」と答えると、何を思ったか「う、うん、変なこと訊いてごめん! いいよ!」と返された。彼は僕について、勝手にいろいろ妙な想像をしているような気がする。どうでもいいけれど。 そんな恵吾についていくと、案内されたのは上級生の教室と教室の間、廊下の少し開けた場所だった。こちらからは陰になっているあたりから話し声が聞こえたので、僕は恵吾の袖を引っ張って少し手前で立ち止まる。周りでは女子が何人か、少し離れたところから見物しているようだった。僕に気付いて寄ってきませんように。 「――え、ちょ、悪趣味とか言わないでくださいよ! 元からこういう色なんですから!」 「そんな目の色した外国人生徒なんてうちの高校にはいないはずだけど?」 間違いない、ナイジェルの声だ。どうやら誰か女の先生に捕まっているらしい。 「米村だ。あんまり近寄りたくないね。先輩にも結構怖いって評判だから」 恵吾が小声で僕に向かって話しかける。僕は唇の前で人差し指を立てた。 「それにピアス開けた生徒は退学だって知ってる?」 「知らないです。あの、悪さはしませんから放っておいてくれると……」 「駄目。一度生徒指導室に来なさい。他校の生徒だろうが関係ないわ」 「それはお断りします。えっとじゃあ……出て行けばいいですよね。失礼しましたっ」 あ、まずい。そう思った僕は数メートル後ろに下がった。僕を見て困惑する恵吾の後ろから、早足で現れたのはやっぱり、背の高い黒髪の少年。離れた所に立っていた僕にすぐに気付いて、驚くと同時にものすごく嬉しそうな表情をする。 「…………! シャルルくん発見!」 僕は即座にナイジェルに背を向けて走り出した。どうしてかってもちろん、この場から逃げないといろいろと面倒なことになりそうだったからだ。 「ごめん恵吾くん戻ってていいよ!」 「え、ちょっとシャルル!」 「えっ何で逃げ……! あ、超可愛い子がいたのでナンパしてきますね先生っ!」 「何言って……待ちなさい! こら!」 「シャルルてめー逃げんなー!」 とりあえず人気のないところまでは、とダッシュ。走る廊下がなくなったので階段を駆け下りる。途中で昼休み終了のチャイムが鳴ったが当然無視。すれ違う生徒が揃って僕を変な目で見るのだが、今はそんなのどうでもいい! 「待てってば! 逃げなくても公衆の面前でいかがわしい発言したりはしないから!」 その発言が既にいかがわしい。 一階まで降りたところで、ナイジェルに追いつかれる。両肩を掴まれたので諦めて、彼を睨みつけた。久しぶりに会ったせいか、自分の背の低さがいつもより身に染みて嫌になる。 「逃げんなよもー……」 ナイジェルはなぜか、こちらへ来る時には持っていなかったはずの眼鏡をかけていた。恐らく度の入っていないその眼鏡の奥の、紫陽花色の瞳がなんだか泣きそうに僕を見、辺りを見回したと思ったら突然僕を抱きしめた。 「ひっ……、気持ち悪っ、離せ馬鹿っ」 「超ごめんマジすみませんもういっそ殺してくださいシャルル様。会いたかったよ」 案外あっさり僕を解放して、彼はいつものように、にやっ、と笑い、そして急に真顔になる。 「ほんとに、悪かった。遅くなっちゃったし。全部オレのせいだから、これまでの鬱憤はどうぞ全部オレにぶちまけてください」 ナイジェルは僕に向かって深々と頭を下げた。僕はどうしようか迷って、自分でも不思議なくらい迷って、やっとのことで言葉になったのは「……その眼鏡、何」なんて、どうでもいい台詞だった。眼鏡を外して弄びながら、ナイジェルは説明する。 「なんかこの国の女の子に需要あるんだぜ、眼鏡男子。頭良さそうに見えるっしょ」 「……見えないよ、別に」 僕はナイジェルの指先を見ながら言った。相手の言葉にどう返事をしていいのか、よくわからなくなっている。なんだか僕はこの一週間ちょっとの時間で、ナイジェルとの接し方を忘れてしまったらしかった。クラスメイト相手に演技を続けていたからだろうか。 「シャルルくん元気ないね。前からだけど」 ナイジェルは独り言のように言って、僕の頭を撫でようとした。僕はほとんど反射的にその手をどける。突っ立ったまま何も言わない僕を心配そうに見ながら、自分の頭をちょっと掻いて、それから廊下の壁際に座りこんだ。 「こっちに来てからのこと教えて。誰か通りかかってもスルーさせるからさ」 僕も隣に座って、壁に寄り掛かった。横に並ぶと目を見ずに話せるから楽だ。でも、ナイジェルは僕が他人と目を合わせたくないのを知るが故にこうするんだろうから、むかつく。 「全部教えて。話疲れるまで喋って。君の綺麗な声を聴いていたいから」 「……女に対する態度と間違えてるだろ」 僕は呆れて言ったのに、ナイジェルまで呆れたように笑った。左耳で揺れるピアスのきらめきがちらと視界に入る。明るい青色。 「シャルルくんに対する態度で合ってるよ。ほら、まずはどこに飛ばされたのかから」 視線を合わせずに促されて、僕は訥々と、嫌そうなふりをしながら語り始めた。 扱い慣れられてる感じが、不愉快だ。 ◇ またどこかにいなくなっていたシャルルが戻ってきたのは五時間目が終わったころだった。未来が「探してた男の子がいたみたいなんだってー」と眠そうに言っていたので心配はしていなかったのだけれど、戻ってきたシャルルは不機嫌なような、泣きそうなような微妙な表情をしていて気になった。でもシャルルを気にしている場合ではなかった。 シャルルの後についてきて、廊下から教室を覗き込む男の子の姿があったから。 「さーゆりちゃーん!」 大声で呼ばれ、満面の笑みで手招きされて、私はびくびくしながら教室の外へ出た。よく通る声だったのに、クラスメイトが誰一人彼のほうを見ないのを不思議に思いながら。 小柄なシャルルと並ぶから余計に大きく見えるんだろうけど、すらりと背の高い人だった。髪は黒いものの、顔立ちと目の色から日本人ではないとすぐにわかる。優しそうに微笑んでいて印象は良かったけれど、シャルルが女好きを嫌というほど強調していた人だから、私は惑わされまいと自分に言い聞かせた。 「初めまして。君が、安藤さゆりちゃん、だよね? シャルルがお世話になってます。どうもありがとう。迷惑かけちゃって申し訳ないけど、もうちょっとだけ居座らせてやって」 「あ、いえいえ、別にそんな迷惑じゃ」 私は首を横に振る。どちらかと言うと人見知りなほうなのに、自然に会話できそうだと思った自分に少しびっくりした。簡単に警戒心を解かれてしまいそうだ。 「えーと、オレはナイジェル・セゼイル、シャルルに説明された通りに解釈してもらって構わないんだけど、別にシャルルが言うほど女たらしじゃないんだぜ?」 歯磨き粉のCMみたいな笑顔っていうのはこういう表情を言うんだな、と私は納得する。角度なのか光の関係なのか、空色にも桃色にも、その間の薄紫にも見える不思議な色の瞳を見ているのがちょっぴり恥ずかしくなって、私は彼のピアスへと視線を逸らした。青い雫形の宝石が、片方の耳にだけついている。 「オレたちがシャノンって名前の女の人捜してるのはシャルルから聞いたんだよね」 「はい、シャルルは『ある人に頼まれて』って。言ってました」 ナイジェルは何か考えるように目線を上のほうへ遣った。 「敬語、可愛いけど使わなくていいぞ。ある人、ねぇ……。まあいいや、その女の人捜すのにはまだ時間がかかりそうだってのも感じてるよね。そこで君にいくつかお願いがあるんだ。無理なことは言わないからちょっと聞いて」 私は首を縦にも横にも振らず黙っていた。ナイジェルは続ける。 「まずシャルルをもうちょっとだけ君の家に置いてやってほしい。これはさっきも言ったね。あいつ一応は男だけど、ほとんど女の子と変わりないから心配しなくて大丈夫。それと、時々シャルルの様子見に君の家訪ねると思うんだオレ。嫌なら家の中までは入らないから、覚えておいて。いいかな。あと最後に一つ」 彼は胸ポケットからメモを一枚取り出して、私に手渡した。携帯番号と思われる数字が、シャープペンシルの細く尖った字で書いてある。 「オレの携帯ね。シャルルが危なかったら――危ないって言うのは、何だろうな、シャルルが何か変で、誰の手にも負えないような状態だったら――いや、とにかく困ったら電話して。すぐ飛んでくから。便利屋代わりに使ってくれてもいいぜ。愚痴なんかにも付き合うしね」 ナイジェルはこちらへ来て一週間で携帯の使い方を覚えたというのだろうか。まさかルドベキアに携帯電話があるはずはないから、そうとしか考えられない。 「この世界の科学ってすごいんだね。とても数日では理解できそうにないよ。みんな理解しようなんて気はないんだけどさ。携帯の契約云々は適当に催眠術かけて誤魔化しちゃった。たぶん立派な詐欺罪なんだけど見逃して」 人当たりの良さも男の子っぽさも、シャルルとは正反対だ。確かにシャルルの言うほど悪い人ではなさそう。でもどうして、こんな人がシャルルのことを気にかけるんだろう。 「シャルルのこと、もう少し君に頼んでていいかな」 「はい、でも……あの、一つ訊いていいですか?」 ナイジェルは微笑んで頷く。 「シャルルって」 何者なんですか? 私の問いに、黒縁の眼鏡の奥で、彼はなんだか悲しそうな目をした。すぐに笑顔に戻って、囁くようにこう言う。 「捨てられた子犬みたいな、そのくせ生意気な、みんなの弟とか、そんな奴だよ」 ちょっとシャルルと話し合わなきゃいけないことがあるんだ、と、ナイジェルは私に小さく手を挙げて見せ、シャルルの席へと歩いて行った。 彼は信用していい人間なのだろうか。わからなかった。 |