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2章.3 ものすごく簡単に脱出できちゃったぞ。いいのか? オレとルイは刑務所(?)の敷地を簡単に抜け出し、町を歩いていた。見つからないように気を遣った覚えもないのだが、誰にも会わなかった。そもそもあそこに人がいたのだろうか。 「お前何やらかして牢屋に入れられたんだ?」 「だからそれは言えないんだってば。それとお前って言うのやめろってさっき言ったじゃないか。何度言わせるんだよ。ところでキミはどうしてここに来たの?」 隣を歩くルイは、明るいところで見ると肌が病的に白いのがよくわかった。細めの体格と相まって、難病の少女を彷彿とさせる。どう見ても女の子だった。 「どうしてってお前、自分のことは言わないくせに訊くのか」 「わざとお前って呼んでるよね。もういいわ」 ルイが黙るので、仕方なく嘘をついてやる。 「弟がさ、どうしても会って殴りたい奴がいるんだって。暇だから付き添ってやってるんだ」 弟みたいな奴、が正解。殴りたい奴、ではない。暇だから、でもない。 「それで迷子になってんだ。最低な兄貴だね」 「うるせー。お前も何か話しなよ。これからどうするのかって話でもいいぜ」 答えを期待していたわけではないが、ルイは話す気になったのか迷うような表情をする。 彼女は軽く俯いて、言葉を選びながら、小さな声で言った。 「みんな嫌になったんだよ。自分が何をしたのかなんて思い出したくもないんだ」 オレは相槌も打たずにルイの横顔を見つめた。気付くと歩みが止まっていたが、彼女が何か話すのを黙って待つ。どのくらい待っただろうか、ルイが消え入りそうな声で話す。 「……ねぇ、大切な人に嫌われるのって、どのくらい辛いか知ってる?」 顔を上げた彼女が涙目だったから、オレは目を背けて答えた。 「きっと、君ほどは知らないんだと思うよ」 一呼吸置いてから、オレは無理に微笑んで見せる。 「たとえ嫌われても憎まれても大切な人がいるって、不幸なことじゃないぞ」 涙の跡を両頬に残したまま、ルイも無理して笑った。 それからしばらくは、人通りの少ない道を黙って歩いた。 「ボク、やらなきゃいけないこと見つけた。そろそろお別れ」 「そっか。オレは弟探さなきゃなあ」 ルイは大きな通りに出ると、「ボクこっちだから」と指で示した。ついて行くこともできるのだが、それが嫌だからそう言ったことくらいわかるので、オレは逆方向へ進むことになる。 「あ、あの、今思い出したんだけど!」 またいつかな、と手を挙げようとした途端、ルイが叫ぶように言った。 「もしかしてキミの苗字ってセゼイルなの?」 不意を突かれて一瞬反応に迷う。何も焦ることはないと自分に言い聞かせて、笑顔。 「知ってたのかよ。なんか日記盗み読みされた感じだ」 日記なんかつけてんのかよ、と笑うルイを見てちょっと安心する。 シャルルもこうして、泣いたり笑ったりしてくれればいいのにと思った。 「えっと、うん、じゃあね。もう会わないだろうけど会ったらよろしくね」 「ああ。その下手な男装してなかったら口説くからよろしく」 最後に鼻で笑うようにして、ルイは人混みに紛れて見えなくなった。 さて、どうしようか。 シャルル怒ってるだろうな。イライラしているだろうけど、しばらく我慢していてほしい。会ったら思う存分、オレにだけ当たってくれればいいから。どう考えてもオレが悪い。 オレは夕暮れの街を足取り軽く進んでいった。途中で見た看板に、アルファベットで“ゆうかだに”と書いてあった。 ◇ 眠れない僕は、暗い部屋の窓際に座って自分のナイフを見つめていた。ナイフに反射する欠けた月の光は月そのものより明るく、冷たい風はカーテンを微かに揺らす。 何色とも取れない、強いて言うなら青みを帯びたナイフの切っ先で左腕をなぞると、ケーキを切るよりも容易く血が滲んだ。ルドベキア原産の宝石でできたこのナイフは、切れ味が良すぎるので一般には出回っておらず、そう簡単には手に入らない。それが何故か僕の家にはあったのだから、僕はやはり一般家庭に生まれたのではないのだろう。 滲んだ血がゆっくり溢れて流れていく。どうして自分は生きているんだろうな、と思った。 両親をいっぺんに失ったのが数ヶ月前。この数ヶ月間、自分がどうやって過ごしてきたのかはよく覚えていない。わかるのは、僕が今するべきなのは両親の仇討ちだということ。それ以外には何もなくて、だからそれだけが僕の生きる意味だった。 切った左腕が痛い。 僕は生きている。復讐のために。 「僕が貴女を殺すので」 勝手に死なないで待っていてください。 貴女が僕の手で死ねば、僕は幸せになれるんです。ここともおさらばできるんです。 ナイジェルはすぐに僕を見つけるだろうか。 もしかしたら、もう僕のことなんてどうでもよくなって、こっちの世界で女の子と遊んでいるかもしれない。僕に協力する気なんてないのかも知れない。 いっそ、そのほうがいいのかも知れなかった。後できっと、邪魔になる。 ◇ 人に質問をするという行為そのものが、人間嫌いな僕にとっては苦痛でしかなかった。瞳が紫っぽい色で黒髪で、女の子を片っ端から口説こうとする背の高い変な男を知りませんか。じゃあ、僕と同じくらいの背丈で、金髪碧眼の女性を見かけたことはありませんか。同じクラスの人たちが協力してくれて、『一年にめちゃくちゃ可愛い外国人が転校してきたらしい』という噂と共に、僕が人捜しをしているらしいということは瞬く間に校内に広まったようだった。けれど情報はなかなか集まらず、一週間は簡単に過ぎ去った。 転校初日に彼女がどうのこうの言っていた男子――恵吾、と言うらしい――は、どうやら僕が気に入ったようで、休み時間に上級生に話しかけられて困っているところを「セクハラはダメですよ先輩」とか言って何度か助けてくれた。「困ったら何でも言いつけてください」と言うものだから、「甘いものが食べたい」と冗談のつもりで言ったら本当にお菓子をくれたこともある。召使みたいで便利な人だった。僕の見かけに騙されてるなら、男って馬鹿だ。 質問にほとんど答えない転校生にクラスメイトはもう飽きたようで、僕の昼休みは平和になった。平和すぎて退屈。廊下に出ると上級生に絡まれるのであまりうろうろできない。外国人男子が転校してきた、と噂になればいいものを、性別が曖昧なまま広まってしまったが故に知らない人に会うたび、不思議な目で見られる。いっそ僕は女と偽って生活するべきなのではないかとすら思う。男子制服はどうも似合わないらしいのだ。 僕は自分の席についたまま溜息をついた。ナイジェルとシャノン、どちらと先に会えるだろうか。ナイジェルに会う必要なんて別にないのだが、こういう生活を送る羽目になったのはあいつのせいだから一発殴らないと気が済まない。あいつが馬鹿な間違いさえしなければ、今頃僕は、こんな退屈な場所になんかいないで、とっくに―― 「シャールルくんっ、溜息なんかついちゃってどう……した、の?」 突然肩を叩かれたので振り返って睨むと、話しかけてきた彼女は悪いことをしたと思ったのかほんの少し後悔するような表情を見せた。さゆりと仲がいいらしい、未来、とかいう人。 「触らないでいただけませんか」 少し腹が立ったので冷たくそう返したのに、未来は一度暗くなったはずの表情を一変、無駄に明るい調子で話し始めた。今まで一度も話したことはないはずなのだが。 「ごめんなさい。触ると火傷しちゃうよね! あれっ、もしかして肩触っただけでもセクハラになるのかな、えーでもあたし女じゃん。シャルルくんがもし女の子でも大丈夫じゃんっ」 面倒くさそうなので僕は無視すると決め、そっぽを向いた。それでも未来は諦めず、僕の前の席に座って一方的に話しかけてくる。 「シャルルくん、女ったらしの背の高い男捜してるって言ってたじゃん、彼氏?」 「ふざけないでください僕男なんですけどどうして認めてくれないんですか」 無視しようとしたはずなのに思わず反論してしまった。冗談にもほどがある。 「えー、別に男同士でもよくない?」 「何を言い出すんですか反吐が出る」 未来は感動したかのように「おおお」と言った。この人何なんだ。わからない。 「でさー、その彼氏くんっぽい人を昨日見かけた気がするんだけど聞きたい?」 僕は顔を上げて彼女を見た。「教えてくださいお願いします」と頭を下げなければ教えてくれなそうな、その偉そうな表情にイラッとして、僕は顔をしかめて再びそっぽを向く。 「…………」 「えーわかったよお友達なのね。駅前のアイスクリーム屋さんで接客みたいなことしてたよ」 未来曰く。昨日の夕方、黒髪で外人っぽい、眼鏡をかけた男の人が、アイスクリーム屋の店員でもないのにアイスの宣伝をしつつ女の子を呼び集めていたという。たまたま通りかかった未来も寄って行ってみたが、女の子たちと他愛ない話をしているだけのようだった。 「近く行ってみたらその人の目、水色みたいなピンクみたいな不思議な色してるのね。あれ、もしかしてシャルルくんの言ってた人かなーって思って訊いてみようとしたら、『ところで君たち、このあたりで金髪の美少女見かけたことないかな』って言うのさー」 そこで未来は手を挙げて、『それたぶんうちのクラスの子です!』と言ったらしい。 「いろいろ訊かれるのかと思ったら学校の場所訊かれただけだったよー」 性別を確認しなかったのは、僕が女だと偽って過ごしている可能性を考えてのことだろうか。未来の見かけた人がナイジェルであることは間違いないだろう。そんな変な色の目をしている人はそういない。女の子集めて情報収集なんて、いかにもナイジェルのやりそうなことだ。 「そうですか。ありがとうございます」 「あれー、もっと喜ぶかと思ったのにな。うん、でもきっともうすぐ会いに来てくれるよ」 未来は満足そうに笑った。話は終わったはずなのににこにこと僕を見ているので、不快に思った僕はトイレにでも行こうかと立ち上がりかけた、ちょうどその時だ。 「シャルルいるー?」 教室の入り口から大声で名前を呼ばれて僕は振り返る。恵吾が興奮しているような様子で手招きしていた。少し走ったのか、ちょっと息が荒い。 「ちょっと来て来て!」 「なになにー? シャルルくんに何の用ー?」 僕は大人しく入り口まで歩いて行く。僕も恵吾も未来のことは無視だった。 「どうしたの恵吾くん」 「シャルルの捜してた人って、日本人ではないんだよね、タラシなんだよね」 「うん、あと目がとても変な色」 恵吾は茶色っぽい目を嬉しそうに見開く。 「下の階でそれっぽい人見かけたんだ、ついて来て!」 昨日僕の居場所を知って、今日か。行動は早くて助かる……でも、もう少し早くてもよかったはず。ナイジェルの行動力を以てすれば、一日二日で僕を見つけられても不思議ではない。 「……シャルル? あ、そか、えっと……上級生のセクハラからは俺が守りますよ?」 何か勘違いしたのか、恵吾はそんなことを言って、言ってから恥ずかしくなったらしく赤くなった。僕は照れたように――もちろん演技だが――にっこりしてみせる。 「恵吾くんが一緒なら安心だね」 「ずるい恵吾! あたしもシャルルくんにそういうの言われたい! あたしには冷たい!」 僕の机をバシバシ叩きながら騒ぐ未来を流し目で見ながら、恵吾は「うるさいぞ電波」とだけ言った。……電波? 「とにかく行こう。その人に会いたいんでしょ、シャルル」 僕はさらににっこりして、普段よりゆっくり歩き出す恵吾についていく。 「うん。早く会ってぶん殴りたいよ」 |