2章.1


 ルイからここの警備状況を一通り聞いたオレは、早速行動に移った。
「お前はオレの言うとおりに動けよ」
「“お前”って言わないで欲しいな」
「変な妄想でもすんの?」
「キミの思考回路は理解できない。“お前”と“妄想”が一体どこで繋がったんだ」
 ルイは両手の人差し指をくっつけて眉をひそめた。
 小声で話しながら、持っていたサファイア色のナイフに簡単な術をかける。鉄格子が熔ける程度の温度にするだけだ。
「このへんで」
 オレは適当に額を指差して見せた。
「ああそうですか。納得すると思ってるのかコラ」
「どう説明したって納得しないだろ。オレ自身よくわかんないし」
 鉄格子にナイフを当てる。鉄格子には何の変化もない。
「自分の頭がどう働くかなんてわかんないだろ? わかっても仕方ないしな」
「それはそうかも知れないけど……ところでどうしてナイフに術かけてるんだい? 鉄格子に直接かけたほうが早いと思うんだけど」
 ただ見ているだけのルイは暇そうで鬱陶しい。仕方ないから答える。
「鉄格子は範囲広くて面倒くさい。あと熔けたのに触っちゃったらどうする。軽い火傷じゃ済まないぞ」
「キミのナイフは熔けないの?」
「ああ。オレのナイフ金属製じゃないからさ」
 ルイはその後も、ナイフやオレの素性についていろいろ訊いてきたが、いちいち答えるのが嫌になってきたので生返事しか返さなかった。集中しないと術かからない。
「まだ?」
「黙っててくれ」
 術をかけ始めて数分後、やっと熔け始めた鉄格子。鉄が溶けるくらいだ、触れればきっと皮膚が溶けるだけでは済まないだろう。
 いったん熔け始めると面白いように切れていく。ほんの十数秒で、人が身を屈めて通れるくらいの穴が開いた。
「やるじゃん」
「それほどでも」
 オレは通路に誰もいないことを確認。薄暗くて気味が悪かった。
「迷子になりそう」
「あれ、既に迷子なんじゃないの?」
「…………。そうでした」
 シャルル無事だといいなぁ。

     ◇

「どうしてこうなったんだ」
 僕は静かな廊下でぼやいた。
「ああ嫌だ」
 背中のほうで歓声が上がる。僕は目を閉じて、肺の中の息を全部吐き出した。扉がからからと音を立てて開き、若い女性教師が笑顔で僕を招き入れる。
「入っておいで」
 僕は無愛想にハイ、とだけ言った。
 そう、ここは高等学校とかいう教育機関で、さゆりのおばあさん――おばさんと呼んだほうが妥当そうだ――彼女はここの校長と面識があるらしい。手続きを電話一本で済ませたとか何とか、僕にはよくわからないが。
 教室に足を踏み入れた途端、室内は静まり返る。次の瞬間にはひそひそ声がクラス中を飛び交う。僕は生徒の顔を見ないようにして歩いた。
「じゃあ自己紹介お願いします」
 教師は白いチョークを手に取りにっこりした。僕は一番近くの机を睨みつつぶっきらぼうに口を開く。ほんとうに、どうしてこういうことになるのやら。ああ嫌だ。
「シャルル・レグナシェスと言います、親の仕事の関係で転校してきました」
 ルドベキアは名乗るなとさゆりに言われたので、黙ってその通りにした。国名を名乗る習慣なんてないから、と言うが、一応ルドベキアは僕の苗字の一部なのに。
 先生が黒板にチョークを走らせる音がやけに響いて聞こえる。僕の名前を書くのだろうか。綴りは知っているのだろうか。
 目だけ動かして生徒の様子をうかがってみると、反応は様々だった。口を開けて見ている頭の悪そうな男子とか、興奮気味に隣と顔を見合わせる女子、苦虫を噛み潰したような顔の生徒も少なからずいる。ただ一人、さゆりだけは僕に向かってにこやかに小さく手を振っていた。
「両親共にフランス人ですが、日本で育ったのでフランス語は話せません――」
 フランスがどこかは知らない。今話すことは全部さゆりが考えたことで、覚えたものをそのまま言っているだけ。それで辻褄は合わせられるのだろう。さゆりを信用する他ない。
「――よろしくお願いします」
 誰かがパチっと手を叩き、パラパラと拍手が起こる。
「何か質問したい人いる?」
「はいはいはいはい!」
 一人の男子生徒が勢いよく手を挙げる。いかにも、クラスの中心的存在といった容貌だった。誰にでも好かれそうな、僕の苦手なタイプの人間。
「『はい』は一回でいいですからね佐倉くん」
 少し笑い声が聞こえたが、すぐに止む。
「はい先生。念のためクラス全員を代表して訊くんスけど――」
 あ、言うの忘れてた。
「――男、なんスよね」
「何言ってるの佐倉くん。そんな質問失礼でしょ。ね、レグナシェスくん」
 笑いながら僕を見る女性教師。そういう貴女だって初めて僕を見た時「え、男の子なの?」って言いましたよね。今更、失礼だとも何とも思わない。失礼なのはその呼び方のほうだ。
「ええ。制服を見ていただければわかるかと思いますけれど」
「そうっスよね? 当たり前っスよね? アハハハハハやべぇ超可愛くね?」
 席に座りながら隣の生徒に小声で話しかけるのが、はっきり聞き取れて呆れた。
「じゃあ好きな女の子のタイプ!」
 今度は権力のありそうな女子。周りの女子数人と頷き合いながら嫌な質問をしてくる。
「興味ないです」
 さらりと言い放って振り返り黒板を見ると、僕の名前がアルファベットと、カタカナ(とか言う表音文字)で書かれていた。綴りは誰に訊いたんだろう。こちらに来てから誰にも教えた覚えはないのだが。
「…………」
「他に質問ある人いる?」
 僕は軽く手を挙げた。
「え、あ、いいよ、どうぞ」
「別にどうでもいいんですけど――」
 こんな場所で言葉なんて一言も発したくないのに、どうしてもこれだけは訊いておかなければならないと、ふと思ってしまった。
「僕のこと一目で男だってわからなかった人、挙手していただけますか」
 一拍置いて、先ほど真っ先に手を挙げた男子生徒が手を挙げ、それに続いて全員が手を挙げた。さゆりまで、苦笑いしながら。
「いいです……」
 どうしてこんなこと訊いたんだろう。確認するまでもなく、僕の性別を見抜ける人なんて世界中探しても一人しかいないのに。
「そろそろ時間なので、他にまだ訊きたいことがあったら休み時間にでも訊くといいでしょう。レグナシェスくんも、わからないことがあったら周りの人に訊いてくださいね」
「ハイ」
「席は窓側の、あそこ。黒板がよく見えなかったら言ってください」
「ハイ。興味ありませんが」
 僕の余計な一言を、先生は聞かなかったことにしたらしかった。
 ああ嫌だ。
 ナイジェルに思う存分八つ当たりできそうだ。

     ◇

 少し時間は戻る。
 その夜、夕食を無理やり食べさせられ風呂場に放り込まれさゆりのお古のパジャマ(とか言う寝間着)を渡された僕は、シャワーをたっぷり浴びて嫌々それを着た。何年も箪笥にしまってあったような匂いがした。恐ろしいことにサイズが小さくなかった。
「似合う! それにしてもシャワー長いね」
 さゆりは脱衣所から出てきた僕を見て嬉しそうに笑った。明らかに女物の、桃色チェック柄のパジャマが似合う僕ってかなり男としてどうかと思う。そんなの今に始まったことではないけれど。
「でね、明日の予定なんだけどね」
 さゆりの座るテーブルの上には、衣服が丁寧に畳んで置いてある。
「あ、これ制服ね。去年卒業した従兄弟に借りたの。大丈夫、そんなにサイズ大きくないと思うよ」
「どこのですか」
 僕は大体の予想はしながらも訊ねた。
「学校に決まってるじゃん」
 訊かなきゃよかった。
「嫌だ」
「そんな即答しないでよ。人を捜すならやっぱり、人の多いところがいいでしょ。ナイジェルくんも私たちと同じくらいの歳なら、同じ年代の子に訊くほうがいいと思うし……ね、高校ちょうどいいじゃん。転校ってことで。ばあちゃんが校長と知り合いなの、どうにでもしてくれるよ」
 さゆりは困った顔をしつつ、僕のような人間が昼間から街中を歩いていては心配だということも付け加えて言った。変なおじさんに誘拐されそうだ、と。
「……嫌です」
 僕はさゆりの正面に正座した。
「そんなに嫌? あ、別に勉強なんかしなくても大丈夫だけど」
「ほんとに学校嫌いなんだよ……」
「なしてさ」
 おばさんがエプロンで手を拭きながら、台所から歩いてきた。食器洗いを終えたようだ。
「なして……?」
「『どうしてですか』」
 さゆりが通訳に入る。
「それは……えっと……はは、ははは」
 笑ってごまかそうとしたが、二人に黙って見つめられて僕は俯いた。
「嫌いなものは嫌いなんですよ」
「ちゃんと理由話してくれないとスカート穿かせるよ?」
「んだ」
「その脅迫はどうかと思います」
 そしてそんなもの穿き慣れてるなんて言えない。
 どうして僕のことなんか知りたがるんだ。
「……僕、女の子に見えるでしょ」
「うん、見えるね」
「んだ」
「それで、人に注目されるのが嫌で……」
「注目される気なのか」
 さゆりは頭痛に耐えるような顔をして呟いた。
「人と話すの苦手だし、何より人に何か頼むのが僕は嫌で嫌で。たまらなくて」
「……人を捜しに来たんだよね? 捜すってことは訊いて回る……んじゃないの?」
「…………そう、だけど」
「…………」
 嫌な沈黙。
 さゆりはおばさんと顔を見合わせ、天を仰ぎ、考えた末、
「大丈夫だ!」
 と親指を立てて言うと逃げるように二階へ上がっていった。
「う……」
「……頑張れ。困った時は言うんだぞ」
 おばさんは僕の肩を叩きながら立ち上がって、台所へ向かおうとした。その背中に向かって僕は言う。
「困りました」
「……何が」
「僕これからやっていけそうにありません」