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1章.2 ナイジェルというのはシャルルの知り合い(鬱々とした表情で親友と言いかけて言い直していた)で、女の子のことしか考えてない変な奴、らしい。浮気性な上、長らく放浪生活していたせいで女の知り合いはいっぱいいるとか。女の子に間違われてひどい目に遭った話とかしてくれた。私はちょっと伸びたラーメンを食べながら聞いていた。九割がた愚痴だった。 「シャルルって男だったんだ……」 私が納得しないままそう言うと、シャルルは呆れたような怒ったような顔をした。上目遣いする癖があるようだ。話していてもあまり目を合わせようとしない。 「僕が女だと思われる確率が日に日に百パーセントに近づいていくんですが」 「……百パーセントじゃないんだ?」 「ナイジェルだけは一目で見破りましたから。今までで唯一ですよ。女ばっかり見てるから」 女ばかり見てればシャルルの性別を間違えない、とかそんなルールは別にないと思うんだけどな。普通に考えて女の子だろう。いやどう考えても女の子だろう。確かに言われてみれば名前は男だけど、そうは言っても女の子にしか見えない。セーラー服だし。ものすごく似合ってるし。 「ひどい人は『男なんです』っていくら言っても『どう考えても女の子だとしか思えない』って言うんです」 あら私ひどい人じゃん。男だと思うほうが変なんじゃないかなあ。 「脱いで説明するわけにもいかないので諦めてます。どうしてわかってくれないんですかね」 男だと思ってほしいならその可愛いセーラー服と長い髪をどうにかするべきだと思った。 「……うん、どうしてそんなに可愛いんだろう」 「どうしてそういう反応になるんですか」 シャルルはテーブルに向かって軽く眉根を寄せた。 「だってシャルル、羨ましいくらい可愛い顔してるじゃん」 「こんなところで褒めても何も出ません」 「嘘じゃないよー」 「嘘だなんて言ってませんよ」 「…………」 「…………」 自分のこと可愛いって認めてるんじゃないのかなこの子。だったら女の子に間違われても仕方ないと思ったりしないんだろうか。 「……何か食べる? ばあちゃんいないから、ラーメンと昨日の残りしかないけど」 「遠慮しておきます。最近食欲ありませんから」 夏バテ? それは少し遅い。 「シャルルは他の世界から来た……んだよね? どうして?」 「手違いです」 即答するとは思ってもいなかった。 「てっ、手違い?」 「ええ。ナイジェルが馬鹿だったので。本当はシャノンって人を捜しに来るつもりだったのに、困ったな……。どうしよう。あいつどこ行ったんだろ。先にナイジェル捜さなきゃいけなくなったじゃん……」 シャルルがほんのちょっぴり泣きそうな顔で溜息をつく。その様子があまりにも私の良心をくすぐるものだから、私は思わず立ち上がってこう言ってしまった。 「そっか、じゃあ、そのナイジェルくん捜すの手伝ってあげる!」 シャルルは訝しげに私を見上げた。何言ってんのこの人、って顔で。 ◇ この人馬鹿じゃないか? 僕はさゆりを見上げながら思った。見た感じ、大人しそうなだけで馬鹿には見えない。 普通知らない人間にいきなり手を貸そうとするだろうか。まだ会って一時間と経っていないのに。 「わ、私にできること、ないかな」 さゆりはほんの少し泣きそうな顔でイスに座った。見るからに今言ったことを後悔している。まあいいことにするか。ここで断っても行く当てないし。もしかしたら泊めてもらえるかも知れないし、食事だってわけてくれるかも知れない。迷惑はかけるけど、ここはありがたくお世話になることにしよう。 「今はわからないです。だけど本当にいいんですか? どこにいるかもわからないのに」 ここで「やっぱり……」と言うわけにはいかないですよね、さゆりさん。さっき言わなきゃよかったね。僕には都合いいけどね。 「やっぱり……」 それ反則。 「あ、うそうそ。大丈夫。ばあちゃんに訊いてみる。たぶん泊められるし、ご飯もごちそうできると思う……質素だけど、ごめんね」 「決まらないうちから謝らなくても」 「あ、うん、そうだね。その前にシャルルのこともっと詳しく教えてよ。あとかしこまらなくていいよ? フツーに喋ってもらったほうがいいな。敬語苦手なの」 いろいろ訊きたいのは僕のほうもだけれど、やっぱりまずは自分のことから言わなきゃいけないみたいだ。 「じゃあ敬語は使わない……」 「うん」 何から話せばいいんだろう。適当に誤魔化しても問題はなさそうだ。 「僕は、ルドベキアって国の人間で、ナイジェルも同じ。それはいいよね。えっと、昨日……ある人に頼まれて、シャノンという人を捜すように言われたんだ。それで、来る時に魔法円使って――」 「魔法円?」 オウム返しにさゆりが訊いてくる。そういえばこの世界に魔法は存在しないんだったっけ。 「ああ、移動に使うんだよ。最近じゃあんまり見かけないけど……面倒なんだ。円の周りに書く文字を一文字でも間違えるとどうなるかわかんなくて……なのに間違えて、ナイジェルが。それで得体の知れない世界に来ちゃったんだよ」 「ふーん……」 さゆりは何か考えるように斜め上を見上げた。僕の話はもういいのかな。こんなに簡単な説明で納得するなんてこの人はやっぱり―― 首を傾げて彼女は言った。 「――嘘、だよね……違うかな」 ――馬鹿、じゃないのか? 「えっとあのね、さっきからシャルル、『捜しに来る』とか言ってるよね。ここに来る予定だったってことなんだよね? うっかりこんな『得体の知れない世界』に来ちゃったんだったら『捜しに行く』になるはず……だよね、目的地はここじゃないんだから。ってことは『得体の知れない世界』ってなんか違うよ……? 他に話してくれたことも、もしかしたら嘘なんじゃないかなあって……思っちゃったんだけど……」 さゆりはちょっと気になったから言ってみた、程度の緊張感で僕を見つめる。油断させておいて何だ。素で言ってるのか。 「それにほら今シャルル、嘘見抜かれてびっくりしてるみたいな顔してるし……」 ポーカーフェイスには自信があるつもりだったが、まだまだらしい。僕は軽く唇を噛んだ。 「……その通り。半分は嘘」 「嘘つく必要あったの?」 さゆりは叱るような声を出し、それに自分で気付いたようで口に手を当てた。 「あ、ごめんね! 空気凍るね! 暑いね!」 そして手をひらひらさせながらへらへらとわけのわからないことを言う。 「どうしても事実言わなきゃ駄目、かな」 「別にいいよ。なんか理由があるんでしょ? 言いたくないなら無理して言わなくてもいいよ。私には関係ないことだろうし……」 警戒されていないことに、内心ほっとした自分に気付く。きっとそれは僕だからで、見るからに怪しいナイジェル相手だったらこの人ももっと警戒心を抱くんだろう。で、ナイジェルはどこに行ったんだろうな。 「ところで一つ訊きたいんだけど」 「はい」 「シャルルって何歳?」 何故かどうでもいいことを興味津々に訊いてきた。答えるのも面倒なので訊き返す。 「何歳に見えます?」 「え、私と同じくらいじゃないの? 十五くらいだと思ったんだけど。実は不老不死でもう百年生きてますよーとか言っちゃうの? んーでも肌年齢五歳くらいに見えるしなあ」 肌年齢って何だ。 「不老不死なんて滅多にいないよ。まあ十五くらいで合ってるだろうね。忘れたけど」 「『滅多にいない』って稀にはいるの? 十五で忘れたの? じゃあ誕生日は?」 「忘れた。そんなのどうだっていいから」 これも嘘だけど、こんなことで追及されることはないだろう。できるなら本当に忘れてしまいたい。憶えてたところで、何の役にも立ちやしないんだから。 ◇ ばあちゃんが帰ってくるまで、いろんなことを訊いた。シャルルがバイオリン弾けることとか、ルドベキアに科学なんてないこととか、そこではこの世界の存在が認められていないこととか。 「……バイオリン、弾いてもいいかな」 私が頷くと、シャルルは変な形の鞄を開いた。バイオリンの鞄だからそんな形なのか。他にもいろいろ入っているようだったが、シャルルは私の視線を気にしたのかすぐに鞄を閉じた。 「アマリア、って言うんだ……僕の唯一の――」 シャルルは急に口をつぐんだ。 「何?」 「い、妹。あ、唯一って言ったのは忘れてっ」 ちょっと恥ずかしそうなところがかなり可愛い。普通の男の子ならイチコロなんじゃないかとほんわかした気分になってから、シャルルが男だったことを思い出してなんだか愕然とした。 「僕の両親が作ってくれたんだ。だから妹」 「職人さんとかなの?」 シャルルは首をゆっくりと横に振り、“アマリア”を左手に持って立ち上がった。私の目を一瞬だけちらと見、バイオリンを構えようとして何かを思い出した。 「調律してなかった。ちょっと待って」 「あ、ピアノあるけど使う?」 シャルルはぽかんとした――というより急に感情がストンと抜け落ちたみたいな――表情で私を見た。何か自分変なこと言ったかと心配になる。 「電子ピアノじゃ駄目なの……かな?」 「……ああ、そうか電子……別にいらないけど、音出すならそっちの部屋のほうがいいの?」 「うん、そうだね」 私はシャルルをピアノの置いてある部屋まで案内した。案内と言ってもすぐ隣の部屋だけれど。シャルルはほとんど足音を立てずについてきた。靴はさっき脱いでもらった。 “電子”ピアノは見たことがなかったのだろう、コンパクトサイズなピアノを不思議そうに眺め、シャルルは自分の耳だけを頼りに調弦し始めた。 「シャルルって絶対音感なの?」 「何それ」 「音聴けばそれがどの音程かわかるっていう」 「ああ、そうかも」 調弦を終えると、ピアノのほうをちらちら気にしながらバイオリンを構えなおして、「弾くよ」と断ってから奏で始めた。 綺麗な曲だった。そんな簡単な言葉では言い表せるものではないけれど、それ以上にこの曲に当てはまる言葉は私の語彙に含まれていない。短調で、切ないけど優しくて。深い谷に一輪だけ咲いてる可憐なバラや、人の訪れない森の奥の清流、そんな自然の風景を連想させる。 そう、ほんの少し寂しい。 もちろんバイオリンの音は聴いたことがある。でもシャルルのバイオリンは違う。一音一音透き通って、どこまでも響いていって――――唐突にフッと消える。ビブラートのかかったかなり高い音になったとき、なんだかぐっと来て涙が出そうになった。 集中しているせいなのだろうか、シャルルの表情は少し恐怖を覚えるほどにきつい。前髪でこちらからはよく見えない、明るいはずの目の色が暗く見えた。 静かに曲が終わって、気が付いたら目を閉じていた。すっかり聴き惚れていたらしい。 「曲名はこのバイオリンと同じで、作曲は僕と――ううん、僕一人」 何か言いかけたのは気のせいにしてあげることにした。仲違いした友達と一緒に作ったとか、そういうことなんだろう。私は一足遅く拍手した。 「すごい。感動しちゃった。自分で作曲もしちゃうんだね! かっこいいなぁ」 正直に伝えたのに、シャルルはにこりともせずにバイオリンを置いた。 「ここにも音楽はあるんだよね。何か聴けないかな」 「CDならあるよ。えーと、音声を記録して再生できる便利なものです」 ルドベキアが非科学世界だからなのか、シャルルには機械の話をしてもほとんど通じないようだ。説明しても聞きたくなさそうなので、知らなそうなものは『便利なもの』の一言で片づけることにした。 「それはいいな……」 「いいでしょ。どれがいいかなー……どんなのが好き?」 クラシック音楽のCDを棚から出してきて漁りながら訊ねてみる。ばあちゃんがクラシック好きなのでたくさんあるのだ。 「どんなのって……かっこいいの」 わからない。聞かなきゃよかった。 とりあえず誰でも知っているベートーベンの交響曲第五番でもかけてみることにした。 「…………。規模の大きいオーケストラだね。すごいや……」 シャルルはラジカセの前に丁寧に膝を折って座って、CDケースを手に取って眺め始めた。 黙って聴きたいだろうから、私は話しかけずにCDの山を漁り続ける。さまざまな楽器の協奏曲があるのを見てふと、シャルルはバイオリン以外にも何か演奏できるのかなと気になって顔を上げた。 ぞっとした。 古ぼけたラジカセを、ぼんやりと見つめるシャルルの目。 背筋に氷水を流し込まれるような、悪寒を誘う瞳だった。 人形よりも生気がなく虚ろで、美しすぎて、気持ち悪い。 私は慌ててCDに視線を戻した。冷や汗が首筋を伝うのがわかった。 …………怖い。 彼の美しい容貌はただの入れ物で、今に中からどろどろとしたどす黒い何かが溢れ出てくるような――そんな気味の悪いイメージが浮かんで、私は頭を振った。 この子の身体の中には、何か人間らしくないものが、渦巻いているような気がする―― 「――さゆりさん?」 シャルルに急に話しかけられて、私は思わず小さく声を上げてしまう。 いつの間にかすぐそばにいたシャルルは、私の顔を斜めに覗きこんでいた。 ……どのくらいぼーっとしてたんだろう、私。 「どうかしたの? なんだか顔色がよくないみたい」 「ううん、大丈夫」 「なら、いいんだけど。いっぱいあるんだねこれ。全部違う曲?」 口調の割には表情を変えずに、シャルルは私の前のCDを指差す。私はラジカセの使い方を説明すると、自分で適当な曲を探してかけるように言った。シャルルはただこくんと頷いた。 どうしたらいいんだろう。 学校の課題があるからと言って、二階の自分の部屋へ上がる。手伝うだなんて簡単に言ってしまったけれど、ナイジェルって人はどうやって捜したらいいんだろう。いやそれ以前に、あの子を信用していいんだろうか。嫌なイメージがまた脳裏をよぎる。 できることなら、人を疑いたくなんかないんだけど。 何なんだろう、シャルルって。 ◇ この世界の音楽もなかなかいい。 CD、ね。僕の国にも似たようなものがあって欲しかった。 あったらきっと―― 思いとどまっていたかも知れないのに。こんなことにはならないのに。 |