5章.1


 夏が終わった。
 鳥一羽、小動物一匹殺すのなんて、あの人には食事と同じくらい当たり前のことになりつつあるようだ。僕は小動物虐待がシャノンの仕業だと確信していた。虐待の度に白いバラを添えるような人間が、あの人の他にいるとは思えない。あの人は白い花が好きだったし。
 未来の言っていた、夕霞市内での小動物虐待が多発しているというニュースは、テレビでも紹介されて誰もが知るところとなったらしい。犯人が金髪の女性だという噂も同時に広まり、当然のように僕に冷たい視線が注がれるようになる。
「ふざけてるね。彼女はまた周りの人間を利用してシャルルを追いこもうとしてるわけだ……」
 僕よりもナイジェルのほうが怒っているようだった。意味もなくへらへら笑わなくなった。何か言えば気に障るとでも思っているのだろうか、僕に話しかけることも多くはなくなって、そのくせ側近みたいに僕の側から離れない。こいつが笑わないのも喋らないのも、それはそれで気持ち悪かった。
 僕は今更どうとも思わない。誰にどう思われようと知ったことか。所詮赤の他人だ。

     ◇

 オレは心の中ではほとんど完全にシャルルの殺人阻止を諦めてしまった。シャノンのやっていることは酷すぎる。何もかもがだ。
 シャルルが何ともなさそうな顔をしているのが、一番怖かった。もう何も感じなくなってしまったみたいで、本当にそのまま人形になってしまいそうで、ぞっとするほど恐ろしかった。細い糸一本だけでこの世界に留まっているような危なっかしさ。一番シャルルのことを理解しているつもりのオレでさえ、何をどうしていいかわからない。ちょっとした拍子に糸を切ってしまいそうなのだ。切ってしまったら、取り返しがつかないことになる。そんな未来、想像したくもない。


「全部終わったら、どうしようか」
 ほとんど独り言のつもりで、オレはシャルルに訊いた。
 土曜日、シャルルはずっと布団の中で丸まっていた。例の事件の後、一カ月くらいは毎日こんな感じだったけれど、最近はバイオリンを弾いたり音楽を聴いたりして過ごせるようになったようだったのに。オレが声をかけても「だるいから動きたくない」と言って動こうとしなかった。さゆりが心配して持ってきたお粥も、半分くらいしか食べない。ベッドの脇に座って見ていたオレは相当思いつめた顔をしていたらしく、シャルルは呆れてみせたのだが、かえって不安になるばかりだった。オレのほうまで、精神的に追い詰められているのかもしれない。
「……僕は未来のことなんて何も考えたくないの。ただあの人を殺したいだけなの」
 布団の中からくぐもった声がした。それから顔を出して、オレを不満そうに見上げるとまた布団にもぐっていった。と思ったら急に起き上がって、布団の中から顔だけ出した。
「寝てると首とか腰とか痛い」
「だろうね」
 シャルルは薄ら隈のできた目で珍しくオレを見つめていたが、オレは思わず目を逸らした。
「なんでナイジェル元気ないの」
「…………。お前が元気ないからだよ」
 それは違う。オレもシャルルもそのくらいわかっている。
「悩みでもあるの? まさかね」
 シャルルは欠伸をした。くだらない世間話でもするように、続ける。
「殺しに来いみたいなことを言ってたのはあの人のほうなのに、なんで僕に居場所教えてくれないのかな。僕が苦しむ様子でも想像して楽しんでるわけ? 気持ち悪い。あーもー死ねナイジェル」
「オレに言われてもご期待には添えないです」
「お前も死んじゃえばいーんだ。お前が綴り間違えなきゃよかったんだ」
 オレは黙りこくった。そう言えば、その件で、今思うと納得できないことがある。
 あの魔法円は本来、人や生物を呼び出すのに使う召喚術の一種だ。それを逆に利用して、自分が召喚される側になって特定の人の側に移動する、というのがオレのとった方法。術を使う側の人間に相手を指定するから、実は相手の了承がなければ失敗する。普通の人がやれば。
「綴りさえ間違えてなかったら、あんな器用な真似できるのはオレくらいなんだぜ……」
 “普通の人”ではないオレは、相手に悟られないように元ある術式をちょっと変えて、失敗することなく作動させた、のだが――
 シャルルが視界の隅で首を傾げた。
「オレ、あの時間違いなくシャノンの綴り間違えてたんだよな?」
「どう見てもnが一個足りなかった。S・h・a・n・n・o・n、だもん」
 姓がレグナシェスなのはシャルルとシャノンだけだと思って間違いないから、“Shanon Regnashes Rudbeckia”なんて名前の人は存在しない。だとすると、召喚する側の人間が存在しないのだから、魔法円は作動するわけがない。
 なぜ、あのとき作動したのか。
 そして一か所に転送されるはずの魔法円で、なぜオレたちは別々の場所に飛ばされたのか。
「……シャルルはこの家の台所に着いた、って言ったよな」
 シャルルはこくんと頷く。
「おでこぶつけて痛かった」
 想像したら可愛かったのは置いておいて、だ。
 オレはシャルルを見つめた。ぽかんとしていたが、やがて不愉快そうな表情になって目を逸らし、オレがずっと見つめ続けているのを横目でちらっと見て何か言いかけ、何も言わず、むすーっと頬を膨らます。
 思いつくのは、あのときオレが描いた円は作動したように見えただけで、第三者、あるいはシャノン本人がちょうど同じ瞬間にオレたちを召喚術で移動させた、ということくらいだが……。
 いや、待てよ?
「……シャルルくん可愛いね」
「知ってるよ。何言ってるんだお前は」
 オレは立ち上がって、シャルルのパジャマの胸元に手を伸ばした。シャルルは驚いたように自分の胸を押さえたが、オレはベッドに左手をついて、右手でシャルルのパジャマのボタンを一つだけ外す。
「ちょっ何すっ――」
「大丈夫いかがわしいことしないから。ちょっとごめんね」
 パジャマの内側、鎖骨に沿って肩のほうに指を伸ばすと、予想通り何か細いものが指にひっかかった。金色の、おそらくペンダントの鎖。引っ張り出そうとすると、シャルルがオレの手を掴む。
「触んないで」
 オレを下から睨む目はなんとなく、泣きそうに見えた。ほんの少し苛立ちを感じつつも、オレは極力優しい声で言う。
「何もしないってば。これ、オレが今考えてることが正しい証明になるかも知れないんだよ。シャノンから貰ったか、でなければ彼女のペンダントなんだろ? 見せてくれないかな」
「…………」
「これが何であってもオレはお前を責めないから。ね、頼むよ。見るだけ」
 シャルルはしぶしぶ、首の後ろに手を回してそれを外した。オレに無言で手渡すと、かなり苦しそうな表情でまた布団にくるまって見えなくなった。
 高価だと言うことは窺えるが、ぱっと見ではどこも不審とは思えないペンダントだ。プラチナ製かと思われる十字の周りに薄黄色の宝石で花の形を模っていて、しかし親指の爪ほどの大きさしかない。
 …………。なるほどね。
 これに気付かないとは、オレも馬鹿だったな。
「……シャルルさ、親が小さい子に身につけさせるアクセサリーがあるの知ってる?」
 シャルルは無反応だった。例の事件の前のことを考えれば、知らない可能性のほうが高いだろう。シャルルの親は親らしくなかったしな。
「小さい子って自分の力をコントロールできないことがあるんだ。術の暴発って言えばわかるかな、そういうのとか、悪戯目的に術を行使するのとかを防いでやらないと大変なことになる。だから力を抑制するために腕輪とか、ネックレスとか、そういうもの身につけさせる親が多いんだよ。中には何らかの術を使った誘拐なんかを防げるようなのもある……」
 オレが何を言わんとしているか、やっと理解したらしいシャルルは寝転がったまま顔を出した。がっかりしたような、呆れたような、そんな表情を浮かべて。
「そのペンダントがそれだって言うのか……」
 オレはペンダントをシャルルに返して頷いた。ベッドの端に腰掛けて、シャルルからは視線を背けて話す。
「でも首にかけてたほうがいいよ。持ち主の身を護るようにって、ある程度高度な術かかってるし、術者の能力強める効果もあるみたいだ。その上から下手に移動できないようにする術がかけられてる。たぶんこれだけは彼女がかけたんだろうね」
 オレが使った魔法円は、シャルルには正しく作用しないことになってた、ってことだ。
 じゃあやっぱり、あの魔法円は綴りが違う状態で作動したのか?
 唇に指を当てる。抜けていた一文字。牢屋。男装の女の子。……おかしいな、会話の内容が思い出せない。夕方で……そういえば看板に――。
「あ」
 振り返った。シャルルはペンダントを握りしめたまま、前髪で表情は見えない。
「ごめん、オレ……馬鹿だ、お前にすぐ言うべきだった」
「……何がだよ。ちゃんとわかるように説明してよ」
 看板に書かれていたのは、アルファベットの子音と母音を交互に並べて書かれた地名。
 あれは正常に作動した、のだ。
「この国だと、アルファベットはただ音を表すために使われてるだろ……? “シャノン”って、もしかしたらこの国で表すには“Shanon”で十分ってことになるのかも知れない……だとすれば全部説明がつくんだ。シャルルにはペンダントのせいで半端にしか効かなかったけど、オレにはちゃんと作用したんだよ。オレはお前の姉貴に会ってる……」
 無意識にシャルルの薄い肩を掴んでいたオレの手を、シャルルは爪を立てるようにして掴んでどけた。なんでもっと早く言わないの、とでも言いたげな視線が刺さる。
「……シャノンはちょっと男っぽい格好して、ルイって名乗ってた。金髪で目が青い子なんてよくいるから――いや、これは言い訳だな、気付かなかったオレが悪い。牢屋みたいなところにいたんだけど、どうしてそこにいたかは教えてくれなかった……気がする。会話の内容が思い出せないんだ……おかしいよな。まさか忘れさせられたわけないのに」
「それで? 何にも気付かずに取り逃がしたんだ?」
 シャルルの言い方が、少しだけ頭に来た。こいつの、人を見下したような口調にはもうとっくに慣れてるはずなのに。
「悪かったと思ってるけど、気付くわけないだろ。綴り間違ったんだから関係ない人だと思うだろ……オレは本人に会ったことなかったんだし。それに、あの時はまだお前の復讐に協力する気なんてあんまりなかった……」
「何喋ったか全然覚えてないの?」
「……どうしてかわかんないけど、夢みたいにぼんやりとしか――」
「役立たず」
 どうしてシャルルはそうも理不尽な言葉を吐けるのかな、と、自分でも不思議なくらい突然冷めた頭で思う。実際、冷めたのではなかったらしかったが。
「お前は僕のことわかった気でいて全然わかってないよね。お前がもっと早く気付いてれば今ごろ僕はあの女を殺して幸せになってたかも知れないのに。一刻も早く殺してしまいたいんだよ……。あの女は死んで当たり前なの」
「…………。なんでそんなに殺しにこだわるんだよ、お前は」
「死んでほしいからに決まってるじゃん! そんなこともわからないの? 馬鹿?」
 オレは無意識に立ち上がっていた。拳を握っていることに気付いて、代わりに奥歯を噛みしめる。
「……何だよ」
 シャルルが睨んでくる。少しだけその瞳に動揺の色があったのさえも、ずるい、と思った。
「…………っ、シャルル、お前さ、オレがいないと何にもできないくせにそうやって偉そうな口利くのも大概にしろよ……! シャノンが憎いのはわかったよ、憎いなら憎いって言えばいいさ、でもお前本当は死んでほしいなんて思ってないだろ! 自分で自分に嘘つくな! それ以上気違いみたいなこと言うんだったらオレもうお前の復讐なんかに付き合ってやらな――」

 聞き覚えのある乾いた音がした。

 しまった。
 ……頬を張られた音、らしい。ああ、男でも平手打ちするやついるんだな。
 オレは顔の向きを元に戻せなかった。ベッドの上に立ち上がってオレの頬を張ったシャルルが、どんな顔をしてるかなんて、考えなくてもわかったし、見ちゃいけない気がした。
 今、何て言ったんだよ、オレ。
「出てって」
 冷え切った洞窟みたいな声で、シャルルはオレの肩を思いきり押した。
「出てってよ。不愉快だ」
「…………」
 返事もできなかった。今オレ、気違い、って言った。シャルルに向かって一番言っちゃいけない言葉を、うっかり口に出してしまった。
 失敗、した。
 ああ、やらかした。怒らせてしまった――否、失望させて、しまった。
 最低だ。
「出てけって言ってるのくらいわかるよね? 声も聞きたくないの。早くどっか行って」
 仕方なく、シャルルに言われるままに部屋を出る。ドアをゆっくりと閉めて、オレはそこにもたれかかった。
 復讐に付き合ってやらない、だなんて。実際そうするつもりなんかなくても、オレは自分から言ったことを自分の言葉で裏切るのか。
 くそ。オレまでシャノンが憎く思えてきた。きっと、彼女さえいなければ――。
「……いや、悪いのはオレだ」
 駄目だ、オレ。
 自分の、常人とは違う力に頼るなんてことはしたくない。そんなものに頼るもんか。けれど、ああ、それがなければ自分は友達一人助けてやれないほど無力だなんて。
 畜生。どうしたらいい。どうしたら。どうしたら。