プロローグ


 街が夕日に染まる黄昏時。オレとシャルルは山の中を歩き続けた。木漏れ日は暗い森に祝福を与えるように、斜めに金色に差し込んでいる――普段ならオレはこう表現するのだろうか。今のオレはそんな気分じゃない。この幻想的な空間を破壊してやりたくなる。すべては、闇の前の幻にすぎない。
 シャルルは片手を出してオレを制止した。ちょっと先で地面が割れていた。深い谷が口を開けている。シャルルはその手前で、オレに背を向けて立ち止まった。
「……これから、どうすんの?」
 オレはシャルルの後ろ姿に向かって訊いた。無論、シャルルはこっちを向かなかった。聞こえなかったのかともう一度言おうかとしたとき、ようやく口を開いた。
「……どうもしないよ」
 台詞の棒読みのように、乾いた口調だった。
「僕には帰る場所がないじゃないか」
「……だから?」
「だから何もしない」
「何もしないことなんてできないと思うのはオレだけかなぁ」
 シャルルは溜息をついて、夕焼け空を仰ぐ。
「……今はできない」
「うん?」
「だから今――」
 オレはシャルルの言おうとしていることがわかって――オレが一番恐れていた事態が現実になるとわかって、全身の皮膚がさっと粟立った。
 谷と、感情の抜け落ちたシャルルと。意味するものは一つだけだ。
「――僕はすべて終わらせようと思うんだ」
 シャルルは、アマリアを愛おしそうに――表情なんてないのに――抱きかかえてようやく振り返った。綺麗な顔に木漏れ日が当たる。その目は怖いぐらいに澄みきっていて、真っ直ぐだった。
 ガラスの瞳の人形を相手にしているような錯覚。
 血の通っていたお前はどこだ?
 止めなきゃ。
 止めなくちゃ。
 死んじゃいけないんだ!
 いけないんだよ!
 なのにオレの足も手も、口も、思い通りに動いてくれなかった。オレ自身そんなことを言っても無駄だと思っていたからかも知れないし、かつて同じことを幾度も思ったからかも知れない。
 いっそ、今すぐにでも死んでしまいたいと――。
「……姉さんが言ってた。死ぬのはヒトに与えられた唯一の救いなんだって」
 シャルルは何も言えないオレの目を見ながら、淡々と告げる。
「僕もそうだと思うんだ。世界は――この世は。僕のこと嫌ってるんだ。一度も救ってくれやしなかった」
 何も言い返せない自分が情けない。それは間違っていると、そんなはずはないと、自信を持って言えない。嘘でもいいはずなのに、言えない。
「こんなどろどろした世界で、穢れた自分の過去と運命を呪いながら、独り寂しく生きてくとか、そんなの嫌だ。誰の得にもならないし邪魔なだけなんだよ。僕がいなくなったところで誰一人悲しまないだろう? 地獄のほうがいくらかましかも知れないじゃないか」
 シャルルは無表情を変えない。淡い緑の目はもう何も見ていない。
「僕がここから飛び下りれば、間違いなく死ねる。死体はしばらく発見されないだろうし、誰にも迷惑はかけないからちょうどいい」
 オレはどうして動けないんだろう。自分の不甲斐なさに腹が立って、悲しくなって、涙が目の縁に滲んでくる。歯を食いしばってもどうにもできない。シャルルに死んで欲しくない、その理由が見つからない……!
 生きなければいけない理由が――!
「何が悲しいんだ。同情してるつもりか」
 オレは迷わず首を横に思い切り振った。
「……そんなんじゃない! 同情なんかするわけないだろ!」
 同情なんて単純なものじゃなくて――
 何だかわからない!
 駄目だ、駄目だ、駄目だっ!
 それだけが頭の中を埋め尽くして、回転を鈍らせる。
 どうしてオレはこんなに馬鹿なんだ!
 目の前でこいつに死なれていいのか!
「それじゃあ、僕は――」
 シャルルは片腕に抱いたアマリアに向かって刹那、微かに笑むかのような表情を見せた。
 それからゆっくりと、後ろ向きに歩いていく。
 どうして!
 どうしてお前は死ななきゃいけないんだよ!
「――やっと……幸せになれるね……――」
 オレはシャルルがこんなに嬉しそうに笑うのを初めて見た。その目に涙が溢れるのも、頬に流れ落ちるのも、初めて見た。涙声を聞くのだって、もちろん初めてだった。
 その笑顔に、普段の俯く苦しみに歪んだ顔が、オレに向ける呆れた目が、重なる。
 ――事実、一瞬確かに、僅かに顔を歪めたのだ。
「今までありがとうナイジェル。さよなら」
 すがすがしいくらいの笑顔でシャルルは言って、


 そのまま、